大日本武徳会武道専門学校 (旧制)

大日本武徳会武道専門学校 (旧制)

大日本武徳会武道専門学校 (旧制), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=976332 / CC BY SA 3.0

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大日本武徳会武道専門学校正門(旧武徳殿) 大日本武徳会武道専門学校(だいにっぽんぶとくかいぶどうせんもんがっこう)は、かつて京都府京都市左京区にあった私立の旧制専門学校。
略称は武専。
学校教育における武道指導者を養成するため、大日本武徳会によって設立・運営された。
校舎跡に建つ武道専門学校記念碑 1905年(明治38年)に設立された武術教員養成所を起源とする。
設立の趣旨は大日本武徳会の目的に沿うもので、武士道精神の涵養や精神鍛錬が説かれた。
旧制中等教育学校における武道指導者を養成することを主眼に置いており、学生は剣道か柔道のいずれかを専攻し、併せて武道を研究・理解するために国語や漢文の教育も行われていた。
旧制高等学校にも匹敵する教科教育と、時には死者すら出ることのあった激しい稽古が行なわれ、東京高等師範学校、日本体育専門学校、国士舘専門学校と並ぶ、国内屈指の武道家育成校であった。
学科課程の充実に伴い、卒業者には最終的に武道(剣道・柔道)、国語、漢文の科目に関して中等学校教員無試験検定が認められるようになった。
太平洋戦争で日本が敗戦し、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) 指令によって武道の禁止と大日本武徳会の解散がなされたことを受け、教科教育を授ける「京都文科専門学校」に改称・改編して生き残りを図ったが適わず、1947年(昭和22年)1月に最後の卒業式を行い廃校となった。
忠君愛国ノ大義ハ武徳ノ本領ナリ宜シク平素心身ヲ鍛錬シ義勇奉公ノ修養ヲ怠ル可カラス 名誉廉恥ハ武道家ノ生命ナリ苟モ怯懦垢汚背信ノ行為アル可カラス 礼譲慈憫ハ武道ノ精華ナリ苟モ長ヲ凌キ少ヲ侮リ他人ヲ侮蔑スルノ行為アル可カラス 質素ハ剛健ノ本ニシテ浮華ハ惰弱ノ源ナリ相切磋シ厳ニ軽佻淫靡ノ行為ヲ戒ム可シ 上長ニ対シテハ恭礼ヲ尽シ克ク其ノ命令ニ服従シ以テ規律節制ノ慣習ヲ養成ス可シ 折田彦市(1911年 – 1912年6月) 仁保亀松(1912年6月 – 1916年3月) 久保敏樹(1916年3月 – 1918年2月、事務取扱) 劉須(1918年2月 – 1919年2月) 西久保弘道(1919年2月 – 1926年11月) 大津麟平(1926年11月 – 1930年4月) 根岸和一郎(1930年4月 – 1935年6月) 森寿(1935年6月 – 1942年3月) 関本幸太郎(1942年4月 – 1943年3月、事務取扱) 細川長平(1943年4月 – 1946年3月) 鈴鹿登(1946年4月 – 1947年3月) 文科教員 武科教員 剣道 柔道 剣道 柔道 警視庁の武道専科も「武専」と呼ばれているが、大日本武徳会の武専と直接の関係は無い。

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